2003年12月2日から12月8日までの闘病日記

2003年12月9日(火)   『昨日は忘年会』

 2回目の掻爬手術は9時30分からだった。
今回も全身麻酔で20分くらいで終了。
麻酔は効いているけど院長達の会話は何故かはっきりと聞こえていた。

その時の会話・・。

院長「昨日の忘年会のビンゴゲームでお米当てたよね。
( ≧▽≦)σそのお米どうやって持って帰ったの?」

看護師A「10kgもあって重かったけど、自転車の後ろに載せて歩いて帰りました。
もう、疲れましたよ。(;・○・)=3ハァハァ」


院長「Bさんはお酒強いね(*^◇^)σ。」
看護師B「そんなことないですよーヾ(^_^*) 。
昨日は院長のほうが飲んでましたよー。」

院長「ハハハ ((^┰^))ゞ 」

『ん?こいつら何話してんだ?処置に集中してよね!
まさか院長は二日酔いで掻爬手術してるのわけじゃないだろうな?
(¬_¬)ジロ
そうだとしたら許せん!0(`◇´)0』


 処置自体は下からホースのような物を入れて吸い出すだけだし、院長は100回以上している処置だから、そんなに難しい手術ではないんだろうけどなんという会話をしているんだ。

コミュニュケーションをとるのは大事だと思うけど、この会話はちょっといただけない。
こぶに聞こえていないと思ってるんだろうけどゼンブ聞こえてるぞ!


『こいつらにはこぶの気持ちなんか分かんないんだ!
腹が立つ。
あーなんか悔しくて泣けてきた。』


ここの病院は看護師だけでなく、院長もデリカシーがなくて最悪。

 目が覚めてから、看護師に思いっきりムカついてますという態度で
「(#`-_ゝ-)σ手術中の会話全部聞こえてましたよ。」と言ったら、
看護師「私は悪くない。ヾ(゚∀゚;)院長が話を振るから。」と言って謝らない。

むかつく!早く退院して、他の病院で術後の経過を見てもらおうと思った。

 何故か今日から毎日点滴をする事になった。
看護師さんは
「出血してるから。」ということで、毎日2本するそうだ。

15時頃、家から持ってきてもらったポットでコーヒーをいれて飲む。
コーヒーを飲んで落ち着こうと思ったけど、手抜きで処置されたみたいで悲しい。
笑いながらはないよなー。


 夕方、何食わぬ顔で院長が病室にやってきた。
院長「( -_-)┌左側の卵巣がはれてるから様子を見ましょう。」と言われ、抗生物質を飲む事になった。

『院長が手術中に話に夢中で、ちゃんと見ないでやったから卵巣を傷つけたんじゃないのか0(`◇´)0!』


後日、卵巣の腫れが気になっていたから、このことを大学病院で聞くと、
「無理やり取ったからだね。ヤレヤレ<(´ロ`')o」と言われた。

やっぱりな。

忘年会の話を楽しそうにしていたもんな。
本当にむかつく!

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2003年12月16日(火)   『死産届け』

上尾市役所
その市役所

 今日退院する。
2回目の掻爬から、これまで看護師や院長とはほとんど話をしなかった。
結局他の病院では見てもらえないと言う事で、仕方なしに外来でも通うことになった。
やだなー。


でも、『今度妊娠したら絶対ここには来ないぞ。』と心に決めた。
 退院するときに会計で、「市から母子手帳を貰っているならこれを提出してください。」と死産届けを受け取った。

死産届け・・・
涙が止まらなくなった。

そんなこぶを見て、
しゅうちゃんが「このまま提出しに行こう。d(-_-) 」
と言うから退院したその足でそのまま市役所に行った。

 死産届けには、その理由・性別・身長・体重などを医師が記入する欄がある。


理由はもちろん胞状奇胎だけど、そのほかは未記入で
その未記入になる理由が余白に記載されていた。


 市役所では、市民課に死産届けを提出した。

受け取ったおばちゃん「あのー、性別とか身長が記入されてないんですけど。┓(´_`)┏」と当たり前のように言った。

しゅうちゃん(穏やかに)「はぁ。書いてない理由が余白に書いてあるじゃないですか。( ・∇・)σ」

受け取ったおばちゃん「理由が病気でも、ある程度分かるんじゃない?書いてないと受領できませんよ。┓(´_`)┏」

そう言われて、しゅうちゃんが何か言おうとしたんだけどおばちゃんの対応にむかついたこぶが、
「分かるわけわけないでしょ。胞状奇胎なんだから!(-゛-メ)
そう院長も書いてるでしょ。
なんなのあなた・・・!(ノ_・、)ノ彡」

涙で言葉が詰まって、次の言葉が出ない。


このやり取りを見ていたスーツ姿の職員があわてて死産届けを見て
「これで結構です。パクパク(゚□゚ )ヾ( ‐ ‐ )申し訳ありません。」と、
おばちゃん「あらそうなの。(゚ー゚ )?」と言ってどこかに行こうとした。

しゅうちゃんがスーツの職員におばちゃんからこぶに謝罪させるように言うと

スーツ職員「失礼しました。∠(`へ´*)きちんと教育し直します。」

それでもおばちゃんは謝るどころか

「書いてないから・・・。(-。-;) ちぇっ」
とまだ不服そうにこぶ達夫婦を見ていた。

『身長とかが記入されていない理由がちゃんと書いてあるんだから読めばわかるだろ!\(`○´)/
判らなければ職員に聞け!それとちゃんと謝れ!(`ヘ´)
むすぅ

おばちゃんがこぶ達夫婦に謝る気配がない。
スーツ姿の職員が何度も
「∠(`へ´*)教育し直します。」と言っていたので、「お願いします<(`^´)> 。」と言って帰った。
 
 窓口の人は、死産届けを出す人の気持ちを考えてほしいものだ。
世の中には色々な病気があるし、死亡の原因だって様々だと思う。
マニュアルどおりに死亡届を記入できる人もいるだろうし、そうでない人もいる。


職員を教育する際には、マニュアルを基本として、その他の例外事項についても徹底させないと、子供を失ったお母さんたちに追い討ちをかける事になってしまうと思う。
「悪気はないから」と許される事ではないと思う。
実際にこぶはおばちゃんの心無い言葉に傷ついたしね。
本当にそこの所の教育を徹底してね。
これ以上傷つきたくないから。

 自宅に戻って、昼食を食べてから「お昼寝」をしてからしゅうちゃんの実家に電話をした。
しゅうちゃんママは「こぶちゃん、元気になったらこっちにおいで、一緒に温泉に行こうね。」と言ってくれた。
そのやさしさが嬉しくて泣いてしまい、
「はい。」としか言えなかった。
しゅうちゃんママは「・・・来年のお正月はそっちでゆっくりしなさい。おせち作って送るからね。」と言ってくれた。
結婚してから毎年実家に帰るのに、
「来なくてもいいよ。」と言ってくれたしゅうちゃんママに感謝です。

 それにしても、2週間ほど入院しただけなのに、久し振りに外に出たら気温が下がって寒くなっていた。
コートを着ないと寒い。
温室(病室)にいたからこの寒さはこたえる。
コタツを出して足を入れてふと考えてみたら、あと2週間で今年が終わる。

師走の忙しい時に入院していたからこれから年賀状を書かなければいけない。
こぶの気持ちとしては”喪中”にしたい所だけど、胞状奇胎になったのを友達もこぶの実家の家族も知らないから、何事もなかったように年賀状を書いた・・・。
書いていて切なくなった。


『あーあー。何でこうなったんだろう。』
なんて考えてまたまた泣いて。
ずーと泣きっ放し。
元気にならなきゃと思うけど今年は無理っぽい。

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2003年12月20日(土)   『計 画』

 ようやく年賀状を書き終えポストに投函した。
相変わらず、卵巣が腫れていて痛い。


 あと4日でクリスマスイブ。
プレゼントはないけど、
『ケーキとワインを用意して、ピザを焼いて・・。』と色々考えている。

悲しんでばかりいたら立ち直れなくなりそうだから、
楽しい事を考えて気を紛らわすけど・・。
むなしい。

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2003年12月21日(日)   『ほっ』

 1週間おきの通院で、今日はその日だ。

着いてすぐに、尿と血中のhCG値検査・子宮内診・基礎体温表のチェックをした。
今回の採血結果は次回の外来の日に聞く。


 卵巣は相変わらず腫れているから、このまま抗生物質を飲んで様子を見る事になった。貧血も相変わらず。
内診の時に、胞状奇胎が確認されなかったから、
院長が
「ただの胞状奇胎で、心配はいらない。」と言っていた。

とりあえず
『ほっ』とした。次回は28日。

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2003年12月24日(水)   『予 告』

顔

 今日はクリスマスイヴ。
ケーキ・ワイン・ピザ焼いて・・。
色々準備した。


と言ってもしゅうちゃんがピザを焼いてくれたから、こぶはなにもしていない。
ただ、食べただけ。

おいしかった!作ってくれてありがとう!

おせちはこぶもはりきって作るから、お楽しみに。

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2003年12月26日(金)   『今年の悲しみ、今年のうちに』

今年もあと5日で終わる。

卵巣の腫れが引かないし、出血も少しあるから無理はできないんだけど、大掃除の一環として窓拭きをした。
お部屋も片付けて掃除機をかけた。
これだけでもう疲れてしまった。
2週間休んですっかり体がなまってしまったみたい。

 大・大・大好きなコーヒーとお菓子を食べながら、ふと本棚に目をやると、図書館から胎教用に借りた絵本や、手芸の本が目に入った。

『今年の汚れ、今年のうちに♪』のCMが頭をよぎり、

『今年の悲しみ、今年のうちに』
と一人で本を返しに行った。
『本を返したら、予約した産婦人科にも電話してキャンセルしなくちゃ。』
おうちに帰って電話した。

こぶ「6月17日に出産の予約をしたこぶですけど、キャンセルお願いします。」
名前や住所を聞かれた後、
受付の人「分かりました。キャンセルしておきます。」
とあっさりOK!
色々と聞かれるかと思っていたからホッとした。

 あとは、赤ちゃん用に買った服、もらった服、たまごクラブ、妊婦服、下着なんかもクローゼットの奥にしまわなくちゃいけない。
 でも、赤ちゃんとしゅうちゃんとこぶの未来を思い描きながら買ったモノたちは、悲しくなるから、まだ片付けることはできない。

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2003年12月28日(日)   『それぞれの事情』

 病院の日。
いまだに消えない卵巣の痛みについて聞いてみようと思う。
夕方、しゅうちゃんに病院まで送ってもらった
。.

今年最後の診察とあって、たくさんの妊婦さん達が待合室にいた。
 受付を済ませるとすぐに中待合室に呼ばれ、しばらく待たされた。

診察室から、院長の怒鳴り声が聞こえてくる。
聞くとはなしに聞いていたけど、かなりheavyな内容。

院長「あなたの場合は、母体保護法で中絶は・・・。」
と、中絶手術についてと中絶が体と心に与える影響について力説していた。

こぶと一緒に中待合室にいた妊婦さん達はいたたまれなくなったのか、携帯で電話をするふりとかトイレに行くふりをして出て行ってしまった。

中待合室には、こぶだけが残された。
というか残った。

『院長声でかいんだよ!外までまる聞こえじゃん!ホントにデリカシーないな。』

それにしても・・・お腹の中で赤ちゃんが無事に育っているのに、中絶しなければならないほどの事情っていうのもあるんだ・・・。
『こぶは生みたかった。』と思っただけで涙があふれてきた。

『このまま、ここ(中待合室)にいちゃいけない。』と思ってこぶも中待合室を後にした。

 しばらくして、診察を終えたその女性が出てきた。
こぶは、その人のいる方向すら見ることができず、ずっと外を見ていた。
 
「こぶさーん、こぶさーん。診察室に・・・」と、だみ声の放送が入った。
院長「う〜ん。hCGも高いし、妊娠検査薬でも陽性なんだよね。」
腕を組んで考え込んでいる。

こぶ「なぜでしょう?」
院長「掻爬のあと、一時的にhCGが上がるから、もしかしてそれかも。
心配しないで。
・・・内診するから準備して。」

こぶは無言で内診台に乗った。
エコーで確認しても、ぶどうの姿はない。
院長「まっ、心配いらないよ。」と元気に言ってくれた。

診察が終わってすぐにしゅうちゃんに報告した。
こぶ「hCGがちょっと高いけど平気だって!」
しゅうちゃん「・・・・・」
無言。

『何か気になることがあるの?』

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2003年12月31日(水)   『ゆく年来る年』

 あっという間に今年最後の日になった。

掃除は毎日コツコツとしていたからなんとか終了。
おせちは、今灯油ストーブの上で昆布巻きと煮しめを煮ているところ。
栗きんとんは、栗を買い忘れたし、(スーパーに行ったらもう売っていなかったので)栗なしの芋金とんを作り、伊達巻・なますなどなどを作ったけど、重箱が1箱余ったので、から揚げをしゅうちゃんに揚げてもらって詰めた。

 しゅうちゃんママの御節は明日届くと電話があったから、明日が楽しみ。

 紅白歌合戦とK−1を見ながらおせちを食べた。

今年は色々あったから、来年の初詣は「厄除け大師に行こう」と、しゅうちゃんと相談した。どこの神社に行くか調べたら、関東の三大厄除けの1つが近くにあった。
そこまで1時間くらいで行けるから明日行く事にした。
 夜中の2時近くまでだらだらとテレビを見て起きていた。

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